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2012/01
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介護技術講習会
今やっている介護福祉士の国家試験受験資格取得の為の勉強はNHK学園の通信過程を利用している。これは介護福祉士法の改定により。私の受けているクラスが最終である。これ以降は更に9ヶ月の実務経験が必要になる。

この通信教育は2年間の過程で介護福祉士の受験資格取得の為には、必修と選択の科目のレポートの提出だけでなく、年2回のスクーリングと特別養護老人ホームでの10日間の実習が必要だ。更に国家試験には筆記試験の他に実技試験もあり、実務経験のない人間にとっては実技試験免除の介護技術講習会と言うのを受けると言う方法もある。

私はこの介護技術講習会を受ける事にしたのだが、これが結構大変なものだ。もっとも国家試験に準じるのだから講習に出ていれば済むというものであるはずがないが…。つまり最後のテスト結果によっては資格を受けられないと言う事態にもなるのだ。だから誰もが必死である。

しかし大変と言ってもこれはとても勉強になる。介護の基本となる安全と自主性の尊重が叩き込まれる。頭で分っていても利用者の人間尊重という理念は体現しにくい。日常の言葉や動作の一つ一つに人間の尊厳と係わる部分が非常に大きい。

介護は奉仕ではない。人間対人間の尊重の精神が必要である。これほど人権と密接に関係する現場はあるだろうか。
コミュニティービジネス
来年にも開設しようと思っている高齢者のサロンを介護保険を使わない方法で経営しようと考えているのだけど、調べてゆくうちにコミュニティービジネスの領域に入ってゆく事が分って来た。これは公共の利益になる事をビジネスの手法で成り立たせてゆくもので、まさに私が目指しているものだ。

会社があげる収益は次年の公共サービスの為に繰り越してゆくもので、利益の分配は行わない。といっても、必要な報酬は予め決めておき、ボランティアとは異なる。

会社形態は株式でも有限でもいいし、NPOでもいい。もちろん一般社団法人を設立してもういし公共性がみとめられれば公益法人となる事も出来る。そうすれば税制面での優遇がある。

そこまで行かないとしても、現在の商売と同居しながらサロンを開き収益の相乗効果を狙える。コミュニティービジネスだけでは収益性が不安で持続可能とはいえないからだ。サロン事業が軌道に乗れば商売は閉じてもいい。その先は後継者を育成してその事業が何十年も継続できる事を考える必要がある。

ところでサロンだが、言ってみれば民間のデイサービスというものだ。もちろん介護認定は必要ないので一定の年齢以上であれば登録していただければ利用できると言うのが前提だ。ただそうなると介護保険報酬がないので採算に問題がある。まさか介護保険分を実費でとは行かないし、それではとても利用していただけない。

そこで複合的なサービスとそれ以外の事業で収益を上げる必要がある。それは結果として利用していただく人たちへ還元されるので大いに利用していただきたい事業となるわけだが、だからと言って魅力あるものでないとそう甘い事はないだろう。

この収益確保が何と言っても重大な課題だ。
日本人の独自性
昨日のNHK深夜便の中で「深夜便アーカイブス」加藤周一さんのお話があった。例えば芸術など欧米では新しいものが出ると上書きしていって以前のものに成り代わって成長してゆくけれど、日本は新しいものは新しいものとして存在し、古いものと融合したりしながらも古いものも残ってゆく、という。

いい例が、焼き物で、轆轤を使わず手びねりで作ったものを昔は釜がなかったので、比較的温度の低い焼き方で仕上げていたところ、釜が伝わり高温で焼いて強い磁器が作られるようになり、そうなると高温で石がガラス化してさらに硬くなり釉薬が登場して、磁器には釉薬を掛けて表面をガラス化してゆくという流れに変わって行ったけれど、だからと言って日本では陶器がなくなったわけではなく、欧米のように磁器一色にはならず、依然として釉薬も塗らない陶器も作られ続けている。

日本には発展するとどんどん複雑に種類が増えてきて、外国との一番の違いはその辺りにある、という事だった。
スクーリング
3回目のスクーリングだ。、介護福祉士の国家試験の受験資格を取るためには必須である。スクーリングは本来嫌いな方ではないが、足がむくむのでそれが苦痛である。
テレビって
ひとかどの事をなした人には、素晴らしい集中力や一念があって、漫然と暮らしている人とは違うのだという思いがある。きっと、テレビなんて見ていることもないのだろう。やるべきことに向かって悶々としたり手段を考え抜いてそれに向かって努力しているに違いない。

でも、こうやってテレビを見ていることによってかなりの刺激を受け希望も抱き実現へ向かおうという意欲も持つことが出来るのも事実。けれどそういう次元の人間にはそれ以上のことはないのかもしれない。出発の時点でもうすでに生き方が違っているのかも……

そういうことがわかってしまうと、人間はひとたまりもない。よりよく生きる術も意味のないことになる。やはり、人間は夢を抱き続けるからこそ生きいきと生きてゆけるのだ。
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Author:crystal

何事にも余裕はないのに、心だけはおおらかな超楽天家。

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